「槙原先生、準備出来ました?」
 「―はい、大丈夫です。」

 同僚に声を掛けられ、僕は濃灰色のスーツの腕に留めた腕章を確かめるように手で触れながら頷いた。教師に着用を義務つけられているそれを見ると、少し誇らしくなる。実際には、もう何回も付けているのだけど。
 着任してから七年目にもなると定年退職をする先生も出ていて、僕の後輩にあたる教師が数人入って来た。メンバーが変わっていくと入った当初に受けていたようないじめもなくなる。多少ぎこちないところもあるけれど、それなりの関係は出来ている、と思う。

 ―七年。そう考えると、とても長い時間が流れた。着任した頃のように無茶な事も出来なくなってきつつある僕―そう言うと、皆一様に否定するけれど―は、やっぱり確実に年を重ねているんだろうか。

 「生徒達も浮足立っているでしょうから、巡回はしっかりお願いしますね。」
 「はい!」
 「久保谷先生は予定通り、槙原先生について巡回をお願いします。」
 「分かりました。」

 隣に立っている濃紺のストライプ柄のスーツを着た僕の元教え子の表情は少しだけ固い。教頭先生が滔々と話す注意事項は毎年大体一緒の内容だった。僕は彼に笑い掛けながらこっそりと話しかけた。

 「宜しくね、久保谷先生。」
 「うん…じゃないや。はい。」

 頷く彼は少しだけ緊張が取れたらしい。その証拠に、敬語の中に素が混じっている。僕はそれに思わず笑みを漏らすと、久保谷くんは照れくさそうに笑う。

 「―それでは、解散して下さい。くれぐれもトラブルなど起こらないよう、教員一同目を光らせて下さい。」

 その言葉を最後に、同僚達はばらばらと職員室から出て行く。僕は久保谷くんと連れだって職員室を出た。

 「―それじゃあ気合い入れて行こうか。」
 「うん。」

 11月3日。
 ―今日は丘の上学院の創立祭だ。
 僕の教え子で後輩の久保谷くんは、着任して一年目の教師として初めて母校の文化祭に参加する事になる。

 「いや〜、若いって良いね〜。」
 「マッキー、オヤジ臭い。」
 「こら、槙原先生でしょ。」
 「へへ…ごめんなさい。」
 
 僕が指摘すると、久保谷くんは軽く舌を出して苦笑した。
 素に戻るともう口に馴染んだ愛称が出てしまうらしく、うっかりと生徒の前で呼ばれた結果、今年の受け持ちクラスでの僕のあだ名はマッキー先生だ。最初は抵抗していたけれど、いつの間にか定着してしまったから仕方ない。舐められてるんだと、一部の先輩からは怒られたけど。

 けれど思わずそう漏らしてしまうくらい、校内はいつになく活気に満ち溢れていた。普段は女性が入る事がない所為もあるかもしれない。ここは男子校だから、その辺りは皆必死だ。彼らが文化祭を最高の日にしようとして溢れんばかりのエネルギーを向かわせているのは良い事だと思う。けれど、いつもと違う空気に飲まれて出し物なんかの呼び込みが激しくなりやすいという面もある。それは行ってはいけない事だし、彼らが気付かずに誰かを傷つけてしまう前に、教師として、人生の先輩として僕は―。

 「いいからいいから。」
 「あの…。」
 「楽しいから寄っててよ!」
 「こら、強引な客引きは禁止でしょ。」

 早速、前方に強引な客引きをしている生徒を発見する。僕達は素早く顔を見合わせると、つかつかと彼らに近寄っていった。僕の第一声に、生徒はびくりと肩を揺らす。

 「その子、困ってるじゃん。」
 「え、あ…。」
 「女性を泣かせるのはマナー違反だよ。」

 久保谷くんからの指摘で、生徒はようやく女の子が泣きそうな顔になっているのに気付いたらしい。女の子はぱっと見で大学生くらい。大人しそうな雰囲気だから、きっと一人ではなく誰かと一緒に来たんだろう。僕は困惑した様子の生徒の肩にそっと触れると、彼を女の子と向かい合わせに立たせながら促す。

 「はい、この子にちゃんと謝って。」
 「…ごめんなさい…。」
 「いえ…、大丈夫です。」

 頭を下げながら行われた生徒の謝罪に、女の子は遠慮がちに首を振る。

 「よく出来ました。…これから気をつけるんだよ?」
 「はい…。」
 「じゃあ、今日はハメを外しすぎない程度に楽しんでね。」

 僕は彼の肩をぽんと叩くと、自分の教室に戻らせる。生徒は大きな背中を少し丸めて帰っていった。振り返ると久保谷くんが女の子の方のフォローをしてくれていた。

 「ごめんな、うちの生徒が。」
 「いえ…。」
 「誰かと回っているんだったら、その人と一緒の方が良いよ。うちは男ばっかだからさ。」

 女の子と話している久保谷くんは彼女を怖がらせないように紳士的な笑顔を浮かべていた。それが功を奏して、女の子の肩に入っていた力も大分抜けてきている。

 「その…はぐれてしまって…。」 
 「じゃあ、一度連絡してみようか。その子と会えるまで俺達が一緒にいるから。」
 「はい…ありがとうございます。」

 女の子はどこかぼおっとした様子で熱を孕んだ視線を久保谷くんに送っている。それも仕方ないだろうな、と思った。
 久保谷くんは僕の生徒だった頃から大人っぽくなって、彼の保護者代わりの神波さんに雰囲気が似てきていた。―その神波さんはあまり容貌の変化がなくて、同じように年齢を重ねているように見えない。強いて言えば、雰囲気は以前よりも柔らかくなった。今でもたまに一緒にお酒を呑むけれど、久保谷くん達が学院に在籍していた頃よりも穏やかに話す事が多くなった。

 教え子の成長は、やっぱり時の流れを意識させる。高校生時代は肩にかかるくらいにまで伸びた久保谷くんの髪は、三年の文化祭にやった「断髪式」からずっと短いままで保って少し大人しめな色に染めていた。お洒落で格好いいし、さりげなく気遣いもできる。彼女がいてもおかしくないと思うんだけれど、大学生の頃から頑なに「いない」と言っていた。
 間もなく女の子は一緒に回っていた人と合流し、僕達は巡回に戻った。

 

 「槙原先生…!」

 校内を巡回していると、後輩の教師が慌てた様子で走って来る。何かトラブルでも起きたんだろうか?

 「どうしました?」
 「校門の辺りに人だかりが…!とても収拾がつきません。」
 「行こうか。」
 「はい!」
 
 僕は久保谷くんと一緒に校門に向かって走る。スタートしたのは同時だった筈なのに、先に到着したのはまだ若い久保谷くんの方だった。
 人だかりは見事に女性ばかりだった。芸能人でも来たんだろうか?…けれど僕はその中心に知った顔を見つけた。というか、明らかに女性達は彼らを囲んでいた。隣に立った久保谷くんもそれに気付いた様子だ。
 
 「………。」
 「あ、お〜い。瞠〜!先生〜!」

 日に焼けてまた精悍さが増したように見える黒い短髪の青年がいち早く僕達に気付くと、太陽のように眩しい笑顔でぶんぶんとこちらに向かって手を振ると、

 「やぁ、久しぶり。」

 口元に上品な笑みをはけた飴色の髪をした青年がくるりと優雅に振り向く。

 「よぉ…。」

 ファー付きの黒いコートを羽織ったいけすかない男が煙草を片手にちらりとこちらを見やり、

 「二人とも、久しぶり。プレゼント貰いに来たよ。」

 一際目を引く金髪にすらりと背の伸びた青年が得意げな笑みを浮かべて両手を差し出し

 「おはようございます。」

 朽葉色の髪に眼鏡を掛けた青年が満面の笑みを浮かべて挨拶をしてくる。

 女性の黄色い声つきの、何だかとてもキラキラしてる光景に僕は思わずうっとなった。
 彼らの視線を集めるのは一体誰なのか、と少し殺気だった女性の視線が僕らを襲う。…こんな形で女性達の視線を一身に集めても全然嬉しくない。御影くん以外が卒業した翌年の文化祭が頭の中をよぎる。あの時はモーゼの奇跡みたいだったけど。
 けれど僕よりも早く立ち直った久保谷くんに続いて、僕は彼らの名前を口にした。

 「清ちゃん!!さっちゃん!」
 「白峰くん!茅くんも!!」
 「…おい、俺を忘れるなよ。」
 「「…ちっ。」」
 「お前ら…。」
 


 …人だかりの中心にいたのは、かつての僕の教え子とその引率者だった。

 「も〜、悪目立ちすんなって!」
 「悪い、悪い。」

 久保谷くんは両腰に手を当てながら、かつての同級生達に向かって怒っていた。その様子は生徒を叱っている姿に少し被る。人当たりのいい彼は年が近い所為もあって生徒に懐かれている。
 御影くんはおばちゃんのように片手を振りながらケロリとした笑顔で応じた。対して、卒業してから身長がぐんと伸びた和泉くんは哀しげに眉を下げる。この中で一番風貌が変化した彼だけど、その仕草は昔の面影を残していた。

 「瞠、そんなに怒らないで。」
 「どっきりにしたくてさ。ほら。瞠、教師になって初めてじゃない?」

 白峰くんは顔の前で両手を合わせながら、和泉くんと久保谷くんの間をとりなす様にやんわりと言った。久保谷くんは白峰くんには強く出られずに言葉を詰まらせる。僕は彼らの引率役である津久居くんに矛先を向けた。

 「津久居くんも引率役なのに何でもっと上手く出来ないかな!」
 「仕方ないだろう。このメンバーは人目につきやすい。」
 「分かってんなら、注意しろよ。」
 「すみません…。」

 思わず素の口調で言うと、何故か茅くんが哀しげに眼を伏せる。全く、ふんぞり返っている隣の男に茅くんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。僕は少し背伸びをして、しゅんと肩を落としてしまった茅くんの頭に触れるとそっと撫でる。

 「茅くん、そんな顔しないで。君に言ったんじゃないから。」
 「先生…。」

 彼は嬉しそうに相好を崩した。何だか大きな犬を撫でているような気分になった。

 「ふん。…相変わらず生徒に甘いな。」

 …津久居くん、今度またつぶしてやる。決定。僕は心の中で誓った。

 「取り敢えず、人目につくからさ…。」
 「あぁ、そうだね。」

 僕達は他の先生に連絡を取って巡回を託すと、取り敢えず彼らを生徒指導室に連行した。ぞろぞろと連れ立って歩く僕達に視線が集まったけれど、道中の人払いは久保谷くんがやってくれた。

 「まぁまぁ、俺達も気をつけるようにするからさ。」
 「もう…。ハルたん達が女性の視線持ってったら、出会いを期待してるうちの生徒たちが泣くだろ。」
 「そんなつもりはないんだけどな…。」
 「何故か囲まれてしまったんだ。」
 「僕達、罪な男だよね。」

 学生時代からさんざんもてていた彼らは困ったように笑う。
 塾講師を辞めて男子校で教師をしている僕にはチョコレートはなかなかやって来ないけれど、彼らなら向こうの方からやって来るんだろうな。…あぁ、自分で言って自分でへこんでしまう…。

 「先生聞いて!実は、今日はもう一つどっきりがあってさ。」
 「あぁ…。」

 御影くんが昔と変わらずにきらきらと目を輝かせながら言う。僕はその言葉で彼が言おうとしている計画の内容を悟った。伊達に彼に巻き込まれて色々な同好会の顧問になっていない。
 文化祭では午後から講演が行われることになっている。ゲストは僕達のよく知る人だった。そしてこの中にいてもおかしくない人物。御影くんは胸を反らして得意げに言った。

 「名づけて、辻村煉慈先生どっきり作戦!!」

 「煉慈から講演の知らせがあったけど、俺達は全員、今日は用事があっていけない事になってます。だけど、これから煉慈の控え室に俺達が突入ど〜ん!どっきり大成功!!」

 生徒指導室中の椅子を並べて、僕達は顔を突き合わせる。七人の成人男性が真剣な表情で円になっているのはなかなかシュールな光景だなとぼんやり思った。御影くんの作戦はとても彼らしいものだった。彼の高校生時代には僕達もよく付き合ったものだけど。
 久保谷くんは長い溜息を吐き出してから眉を潜めて言った。

 「それで俺にも連絡してこなかったのかよ…。」
 「敵を騙すには、まずは味方からって言うじゃん。」
 「敵って。」
 
 もう控室に詰めている辻村くんには朝に会ったけど、何だか元気がないように見えたのはその所為か…。

 「…わぁ…辻村くん、可哀想…。」
 「煉慈、今朝もメールして来た。本当に来れないのかよって。可愛いよね。」

 和泉くんが携帯を弄りながら目を細める。それを見て久保谷くんがあからさまに顔を顰めた。

 「さっちゃん、悪趣味だぞ…。」
 「津久居くん、止めろよ。」
 「仕方ないだろう、こうなった清史郎は誰にも止められない。」

 それは身に染みて分かっているけれど、君は彼の兄だろう。御影くんも津久居くんの制止があれば止めるかもしれないのに。けれど当の本人は、僕達の協力を信じて疑わない目で見つめてきた。こうして一緒に来た彼らを誘っただろう、向日葵のような笑顔と一緒に。

 「…ってわけで、今から煉慈の控え室に突入するから場所を教えて。」


 「―辻村くん、いる?」
 「差し入れ持ってきたっすよ〜。」
 「…槙原と久保谷か。」
 「失礼しまーす。」

 ノックをしてから控え室に入ってみると、辻村くんは机の上に原稿用紙と筆記用具を広げていた。担当編集者に持たされたのだ、と彼は苦笑交じりに言った。けれど、僕達が手ぶらなのに怪訝そうに眉を潜める。

 「…で、差し入れって何だ?ないならコーヒーでも淹れて貰えると…。」
 「うん、ちょっと大きくてさ。久保谷くん、宜しく。」
 「オッケー。」

 久保谷くんは白い布が被せられて何が乗っているか分からないカートをゆっくりと押して来る。カートの上の荷物は普通の差し入れではありえない大きさをしていた。その異様さに、辻村くんはぎょっとしたように目を見張っている。

 「君のファンからのプレゼントだよ。」

 僕は言いながらカートにかけられた布を勢いよく引っぱる。

 「煉慈、やっほ〜!!」

 布が宙を舞うと同時に、カートに乗っていた御影くんが勢いよく飛び出す。辻村くんは驚きで目を見開いたままだ。

 「っ…!!」
 「「「「どっきり大成功!!」」」」

 扉の向こうに隠れていた他のメンバーが控え室に飛び込んで来る。そこまで来て、彼はようやく事態を把握したらしい。少しだけ涙目になって彼は叫んだ。

 「こ…、この馬鹿野郎〜!!」

 「な〜煉慈〜。」
 「…いや、ごめんって。辻村。」
 「機嫌を直してくれないか。」
 「………。」
 「おい、コーヒー持って来たぞ。」
 「すねた顔も素敵だよ。煉慈。」
 「本当にごめんね、辻村くん。」
 「俺達、本当に反省してる。だから機嫌直してよ〜、レンレ〜ン。」

 七人がかりで辻村くんのご機嫌を窺う。騙されたと分かった辻村くんはむっつりとして貝のように口を閉ざしていた。長期戦も予想されたけれど、やがて彼は僕達の顔を探るように見回しながら自ら口を開いた。

 「…お前ら、本当にちゃんと反省してるのか?」
 「「「「してるしてる。」」」」
 「…なら、許してやる。」

 彼は高校生時代よりも大分素直になった。それでもすぐに許すのはプライドが許さなかったらしい。腕を組みながら精一杯尊大な態度を取ろうとしているのは、少しだけ微笑ましかった。

 「やった〜!煉慈ありがと〜!」
 「おわ!」
 「ど〜ん。」

 御影くんは勢いよく辻村くんに抱きついた。どちらかと言えば飛び込んだ、という方が正しい。和泉くんがそれに倣うと、彼らに押しつぶされる形になった辻村くんの悲鳴が彼らの身体の向こうから聞こえる。

 「ちょ…お前ら…!重いっつの!!」
 「つれないな、煉慈。お仕置き。」
 「ぎゃああああ!!」
 「な…!!おい、咲!男同士で何やってんだよ!!」
 
 こちらからは何が起こっているかも分からない。真っ赤になった御影くんが慌てて二人を引きはがしにかかった。無理矢理引きはがされた和泉くんは不満げに眉を寄せる。
 
 「清史郎、もっと優しくしてよ。」
 「BL禁止なんだからな!!」
 「これは只のスキンシップ。」
 「只のセクハラだろうが!!」

 三人の様子を見ながら白峰くんはくすくすと笑みを漏らす。その笑みはとてもあたたかく優しいものだった。久保谷くんも、茅くんも同じように笑っていた。…見なかったけれど、きっと津久居くんも。

 「はは、懐かしいな。」
 「そうだね。」
 「ちょっとした同窓会だな。」

 そう、この場には僕がこの学校で最初に関わった生徒たちが全員揃っている。
 一年留年した御影くんと獣医を目指す和泉くん以外の子達はもう大学を卒業し、それぞれ自分達の道を進んでいた。学生の頃よりはなかなか集まって会えないだろうけれど、会えば学生の頃のように仲良く話せる。とても良い関係を築いているなと思った。
 不意にじわりと涙が滲んできて視界が歪む。僕は慌ててスーツの袖でごしごしと目を擦った。

 「あ〜…、何だか涙腺が…。」
 「え、ちょ…マッキー。」
 「年じゃないのか。」
 「…同い年だろ。おっさん。」

 涙を拭きながら、デリカシーのない発言をする津久居くんの耳をぐいと引っ張ってやるとすぐに反撃を受ける。残念な事にリーチは津久居くんの方が長い。対抗する僕の腕は吊りそうになった。

 「いてぇな、おっさん。」
 「いたたたた!ちょっとやめてよ!!」
 「ちょっと、二人とも…。」
 「こんな時くらい、仲良くしろよ…。」
 「喧嘩するほど、仲が良いって〜か。」

 生徒たちの生温かい視線を受けながら、僕達は同時に相手の耳から手を離した。

 「「それはない!」」

 不本意ながら、僕達の否定の言葉は見事にハモった。

 「…じゃあ、俺らは適当に暇つぶしてくるから!おみやげ沢山持ってくるな!」
 「おい。」
 「大丈夫、代わる代わる構ってあげるから。」

 御影くんが早速腰を上げようとしたのを、辻村くんが責めるように声を掛ける。ウインクしながら茶目っ気を見せる和泉くんを見て、辻村くんは一歩引いた。明らかに腰が引けている。

 「お、お前と二人きりはいい。」
 「遠慮しなくて良い。」
 「おい、距離を詰めるなよ!!」
 「大丈夫、怖くない。」

 言いながら、和泉くんは意地悪く距離を詰めながら辻村くんを壁際に追い詰めていく。両手を広げながら彼に迫る和泉くんの表情はとてもいきいきとしていた。
 茅くんは彼らの様子を見ていたけれど、やがて彼らしくマイペースに口を開いた。

 「ところで、先生と久保谷は、いつがお暇ですか?」
 「僕達?午後からは生徒達の様子を見なきゃだし…。」
 「そろそろ巡回に戻らなきゃ、だよな。」

 僕はタイムスケジュールを頭の中に思い浮かべながら答える。…そろそろ代わって貰っている先生と交代しないと。久保谷くんも皆と会えて嬉しそうだけれど、先刻からちらちらと時計を気にしていた。

 「ずるい、晃弘。たまに来てるんでしょ。」
 「後学の為にだよ。」
 「俺達だって、先生や瞠と一緒にいたいんだからね。」
 「僕も頑張って来た。」

 和泉くんが頬を軽く膨らませて茅くんに抗議する。彼はまだ学生だから、スケジュールの過密な中で頑張って来てくれただろうと想像できた。和泉くんの言葉に白峰くんも同意した。
 彼らの指摘通り、茅くんは卒業してからもたまに視察だと言っては学院にやって来ていた。…と言っても、大抵は校内を一緒に歩いて職員室でお茶するだけなんだけど。
 
 「…俺も外に出たいんだが。」
 「レンレンは駄目っしょ。また人だかりが出来ちゃう。」
 「…ちっ。」
 「我慢しろよ。有名税ってやつだ。」

 大学を卒業した辻村くんは作家業に専念している。メディアへの露出もたまにあるからそれなりに顔は知られているし、今日は彼の講演の為に来校している人もいるに違いない。彼が下手に外に出ると、御影くん達が校門に集結した以上の混乱が起きてしまう。ちょっと可哀想だけれど、許可は出せそうになかった。

 「じゃあ、交代で先生達の巡回に随行するのはどうだろう。」
 「それ、面白そうだな!!」
 「「賛成。」」
 「ちょ…おい!」

 茅くんのアイデアに、面白い事の大好きな御影くんがいち早く乗った。和泉くんや白峰くんも賛成らしい。同行の許可が下りなさそうな辻村くんが非難の声を上げる。いつの間にか僕達の巡回がちょっとしたイベントになりかけてるんですけど…。僕は事態を収拾すべく、隣の久保谷くんに声を掛ける。

 「ね、久保谷く」
 「…あ、う…。折角皆に会えたし…。マッキー、駄目かな…?」

 久保谷くんの眼差しは教師としての責任と彼らとの友情との間で揺れていた。CMによく出てきていた小型犬のようなそれに、僕の心も思わず揺れた。そんなところに椅子に我が物顔でソファーに腰かけた津久居くんが足を組み替えながら言った。

 「俺はここでいい。空調も効いてるから楽だ。」
 「尻に根っこが生えたら困るから、早々に伐採して薪にするけどいい?」
 「それは贅沢な使い方すぎるな。薪一本、どれだけの価値があると思っている。」
 「まあまあ…。」

 僕と津久居くんの言葉の応酬に、間に入った白峰くんは苦笑を浮かべた。久保谷くんは肩を竦めているし、茅くんは不思議そうに首を傾げる。

 「…本当に、仲が良いんだか悪いんだか。」
 「今もたまに一緒に呑んでるんでしょう?仲が良いんじゃないんですか。」
 「だって津久居くん、弱いんだもん。つまんない。」

 相変わらずヘビースモーカーな津久居くんが煙草の煙をくゆらせながら渋面で応じる。
 
 「お前が化け物並みなんだよ。」

 ―まぁ、正直言って僕のペースに付いてこられる人はなかなかいない。後輩達も久保谷くんと一緒になってセーブしてくるし、僕の先輩方は…年齢的にアレだし。そんなわけで、僕が遠慮なく酒盛りを出来る相手は津久居くんと神波さん、南くらいだ。

 「また、ご一緒させて下さい。」
 「…茅なら、大丈夫かもね。」

 彼らがちゃんと二十歳になってから一緒に呑みに行ってみたけれど、茅くんは結構お酒に強い。ひょっとしたら神波さんと同じくらい呑めるんじゃないかと思う。割合顔色を変えずに呑み進めるから、こちらの方が大丈夫かなと心配に思うくらいだ。

 「出来たぞ!あみだくじ!!」
 「暫く静かだと思ったら…。」
 
 御影くんの手には、辻村くんの持ちこんだ原稿用紙で作ったらしい、あみだくじが握られていた。原稿用紙のラインを無視してはみ出す勢いで引かれた線はとても御影くんらしかった。辻村くんはそれを見て呆れたように眉を潜める。

 「っておい、人の原稿用紙…。」
 「煉慈も後から一緒すればいいじゃん!ゲストなんだから、文化祭の片付けに紛れて回るくらいは良いだろ?先生。」
 「うん、そうだね…。片付けの邪魔にはならないようにして欲しいけど…。」
 「そ…そうなのか?」
 「うん。」
 「…お前ら、さっさとくじ引けよ。」

 大量のお客さんがいなくなって生徒だけになったら、ある程度僕達で何とかなるし。僕が頷いてみせると、辻村くんはあっさりとくじを許可してくれた。それを見て、白峰くんが愉快そうに目を細める。
 
 「辻村、素直だね。」
 「うるせぇよ。引かないなら、俺と一緒に缶詰めにするぞ。」
 「軟禁宣言かよ…。」
 「情熱的だね、煉慈。」
 「だから違う!」

 毛を逆立てた猫のように吠える辻村くんを背に、彼らは先を争うようにしてくじに名前を書き込んでいた。その様子は高校時代の彼らの姿にダブって見えてとても微笑ましかった。彼らの様子を遠目に見守りながら僕は久保谷くんに話し掛ける。

 「…これは僕ら、くったくたになるね。」
 「そうっすね…。」

 どうやら、久保谷くんの教師になって初めての文化祭はただでは終わらないらしい。けれど、僕も彼らにつられて何だかわくわくしてきていた。久保谷くんも苦笑を浮かべながらも嬉しそうだ。津久居くんも何だかんだ言ってくじに名前を書かされているし。

 ―文化祭は、まだこれから。


ネヴァジスタ一周年、本当におめでとうございます!
夜勤明けの日に三回くらいに分けてプレイしたのを覚えています。
続きが気になって読み進めていると、
気がつけば朝になっていたりしていて…。
作品発表後もSSやインタビューズなど…、本当に目が離せません!
幽霊島事件のゲーム化を熱望しております。
 
(今回は未来予想図とか本当にすみません。
妄想を押さえる事が出来ませんでした;
こんな風に皆が仲良く会ってたらいいな、
くらいのものですので…どうか平にご容赦を。
出来る限りイメージを特定しないようにはしたのですが…。)
拙いですが、愛はめいっぱい籠めています。


◆ 岡崎茜
◆ @a_watchdog
http://seirando.blog.fc2.com/


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