propose a toast


夕刻。
気の早い夜空が時間感覚を麻痺させる。
帰宅を告げる扉の音に、おかえり、と告げると「ただいま。って、また戻らなきゃなんだけどね」と返事が返ってきた。
マッキーがネクタイを緩めながら現れて、食卓の上に視線を落とす。
「あっ」
「え?」
「それ。お酒でしょう」
マッキーが指差した。テーブルの上に置かれているのはワインの瓶。
「お酒じゃないよ」
「ほんとう?」
「だってアルコール入ってないから」
ほらね、と裏の表示を見せる。アルコール度数0%。
「それならいいけど…どうしてまた、」
「いいじゃん。クリスマス用に買っといたんだけど出すの忘れちゃったんだよ」
当日はそれどころじゃなかったし、と言うとマッキーは納得したように「ああ」と頷く。
だいぶ騒がしいことになっていた十二月二十四日。
正確には前夜祭であるその日、ハルたんは女の子と外出、茅さんは用事があって、レンレンは年末進行とかいう締め切りに追われ、さっちゃんはどこかに行った。
多分そんなものだろうと予想していたけれど、夜になって皆段々とと食堂に集まってきて、「クリスマスパーティ」ではなかったにせよ予想外の団欒が出来上がっていた。
「こういうなんでもない日のほうが最初から皆揃うし。朝、レンレンにこれ、って言ったらそういうのに合う料理にしてやるよって」
「なにを作ってくれる気なんだろうね」
小首を傾げるマッキー。
「…なんだかパーティみたいだね。なんでもない日、万歳?」
「そうそう、アリスみたいにね」
冗談を言い合って、これ以外といいやつなんだよ、と手元を指し示す。
「僕もそれをご馳走になっていいのかなぁ」と尋ねられ、「もちろん」と返す。生徒
に奢られちゃったよ、と笑うマッキーは嬉しそうだ。
「なんかこれ見てると、飲みたくなってきちゃうなあ」
「マッキー、どっかでお酒買ってくる?」
「まさか、そんな勿体無い事しないよ。……ああそうだ、今度こういうの買って神波さんを訪ねてみようかな」
いつもご馳走になってるような気がして悪いしね、と苦笑する。
「そうしてくれると誠二も喜ぶよ」
そうだといいなぁ、とマッキーが微笑った。そうしてバタバタと自分の部屋へと上がっていく。
誠二とマッキーが仲が良さそうにしてくれていると、どうしようもない幸福感が込み上げる。
―――おわったんだ、すべて。

夕日がノスタルジックに窓から差し込む。
「瞠の様子がおかしいのはなぜ?」
「……っ」
驚きで固まった猫のように肩を揺らしてから、煉慈はこちらに振り向いた。
「っおまえ、いきなり話し掛けるな」
「いきなり話し掛けられるのが嫌い?」
「心臓に悪い」
誰も居ない校舎の廊下。確かにそんな場所でいきなり話し掛けられたら驚くかもしれない。
僕の目には煉慈が威嚇している猫に見えた。
「瞠の様子が少しおかしい」
「……おかしい?」
「ちょっとしたことで泣きそうな顔をする」
「俺はあいつが泣きそうなとこなんて見ていないぞ」
煉慈が微かに片眉を上げる。
「それは煉慈が相手だから」
「どういうことだ」
不満そうな煉慈を横目に問いかける。
「……瞠に何か変わったことはない?」
「変わったこと?」
煉慈が腕を組んで窓枠に寄り掛かる。
煉慈のこういう姿は絵になる。
「変わったっていうか……あいつ、ワインなんか買ってきてたな」
「うん?」
「なんでもない日のほうが揃うから今日にでも開けようかって」
「そう」
皆が揃う日にそのワインを開けたい。
そのワインが瞠のなかでは大きな意味を持つものなんだ。
「わかった」
不思議そうな煉慈を残して僕は廊下を後にする。「おい、なんなんだ、」と煉慈の声が聞こえた気がするけど多分気のせい。
―――今日は早めに帰ろうと思った。

「そういえば、久保谷に、今日は遅くならずに帰ってくるかと聞かれたよ」
「……どういうこと?」
どこか出かける予定があったの、と白峰が問う。
そんな予定はない。学校での用事が終わればすぐに帰るつもりだと返すと、「……だよね」と納得したように頷かれた。
どうしたんだろう。白峰はなにをそんなに訝しんだんだろうか。
補足として付け足す。
「あの言い方からするに、夕食は全員揃うか、という意味だろうね」
「……そういうこと」
ああ吃驚した、と零すので、なにがだい、と聞き返した。
いや、こっちの話、と話題を遮られる。
それでも白峰の関心はその話題に引き摺られているようで、「クリスマス後だからってまさか茅が」、と呟くのが聞こえた。どういった意味だろう。
いつのまにか頭の重心が傾いていたらしい。僕の様子に気付くと、白峰が何かを否定するようにひらひらと片手を振った。
「クリスマスの日、茅、帰ってくるのが僕より遅かったでしょ。だから」
「だから?」
「……彼女でもできたのかなぁって」
何故こんなに白峰が聞きづらそうなのか分からない。いないよ、と応えて続ける。
「あの日は、斎木が付き合え、と言ったから」
「ああ」
疑問は氷解した、と言わんばかりに白峰が頷いた。
「斎木、だめだったんだ」
「なにが?」
「そういう話はしないの?」
「……うん?」
話の流れが読めない。
「クリスマスを一緒に過ごしたかった女の子に振られたってことだよ」
「……そういえば、そんなことを言っていたかな?」
だいぶ記憶が遠い。
ふふ、と白峰が笑った。
「そういうところに、きっと斎木は慰められたんだと思うよ」

「にいちゃん、元気?」
能天気な声はあいかわらずだった。
突然の電話に少しも驚かなくなった自分の順応性に嘆息する。
「……仕事中」
「って言いつつも、いつも切らないのは兄ちゃんが俺を気にしてくれてるからだよね」
愉快犯を体現する弟は嬉しそうだ。
手元の資料に目を通す振りをして、腕を動かし肩口に置いた携帯の位置を直す。
「なんだ」
「やだなあ、兄ちゃん。なにかないと電話しちゃいけないの?」
「なにかがないと連絡をよこさないのはお前だろう」
「えー?」
ふいに視線を上げると男にしては長い長髪が目に入る。一向に進まない会話に、誰です?と視線で問われた。弟、と無音で答える。
「それで」
「兄ちゃん、そんなに急かさないでよ」
もう、と若干幼く聞こえる反応を返し、調子が拗ねたような声になる。
「仕事と俺とどっちが大事なの」
「……。」
「ねえ」
どう返したものか、と沈黙で時間を過ごす。
なかなか愉快な弟さんですね、と石野が言った。聞こえていたのか。余計なお世話だ。
こういうときは下手に何かを返さないほうがいい。
沈黙。
お前の話を聞いてやる。
やがて沈黙に飽きたのか、それともこちらの意思を汲み取ったのか。清史郎は言葉を続けた。
「このまえ瞠に電話が繋がったとき」
呟くような声音とともに、清史郎が言った。
「もう終わったんだよね、せいちゃん、って言ってた」
それで、と続ける。
「瞠、すごく泣きそうで嬉しそうで困ってたみたいだった。で、言ったんだ」
そう区切って、
「瞠が言ったんだ。妖精の粉から不思議を抜いたら―――」

―――妖精の粉から不思議を抜いたら、あとは現実が残るんだ。



発売をわくわくしながら待っていたネヴァジスタが、もう一周年!
おめでとうございます!!ネヴァジスタだいすき!


◆ さち
◆ @itti00


Copyright 2011 図書室のネヴァジスタ一周年記念 All Rights Reserved.
inserted by FC2 system