新しい年が来る瞬間というものは特別な誰かと過ごすと秘密めいたものになる。浮かれたパーティーを開いてるはずなのに、外の世界には漏れないように皆が皆ひっそりと鳴りを潜めている。年をまたぐという行為の神秘さを他の誰にも知られないように。誰かに知られたら宝物が壊れてしまうような気がして、そっと手のひらに包んで大切に温めるそんな瞬間。あるものは切実な願いを胸に、あるものは希望を胸に、あるものは絶望を胸に、新しい年を迎えることで何かが変わらないかと願う。その瞬間が幽霊棟にもやってきた。


      されど愛しき日々〜Still dear days〜


 『あけましておめでとう、今年もよろしくお願いします』

 滅多に揃わない、いや一度も揃ったことのない六人の声が待ち望んでいたかのように綺麗にそろった。個々で強烈な人間性をもっている彼らは口調もバラバラでいつも全然違う。たいてい誰かが足並みを乱したり、ずれたり。けれどもこの日は特別だからと、御影清史郎の提案に和泉咲が一番最初に面白そうだねと、乗った。次いで白峰春人がいいねやっちゃおうと、続くとそこからはもう芋づる式だ。茅晃弘は真っ先に春人に続くし、久保谷瞠は最初の二人が乗じた時点で既に賛成したも同然で。そして独り取り残されるのを一番怖がっている辻村煉慈は嫌がりながらも、必ず首を縦に振る。

 そうして幽霊棟の年越しパーティーは決まった。

 「ったく、なんで俺がこんなめんどくさいことしなきゃいけねぇんだよ」
そう愚痴りながらも、きちんと天ぷらを揚げ、蕎麦を作った煉慈は、用意をしてた時と同じように甲斐甲斐しく皆が食い散らかした蕎麦の食器をきちんと片づけてから、再び食卓につき軽快な音をたてビールの缶をあけた。ぷしゅっと吹き出す炭酸の音が耳に心地よい。
「あー、ずるいよ、辻村!俺も……」
春人が続いてビール缶を開けていく。
「アルコールを入れて、浮かれるなんてまだまだ子供だよ」
「さっちゃんは身長のために禁酒?」
「……瞠、坊主にされたいの?」
高校三年の冬になっても、あまり身長の伸びる兆しが見られない咲は唯一のコンプレックスを刺激されて、その秀麗な顔に氷よりも冷ややかな表情で瞠を見据えた。なまじ綺麗な顔をしているせいか、咲の冷ややかな視線の迫力は普通の人間とは比べ物にならない。
「ゴメンナサイ」
決して触れてはいけない爆弾に手をかけてしまい、蛇に睨まれた蛙のようになった瞠は潔く謝った。ここで一番怒らせたら怖いのは煉慈でもない、咲なのは皆知っている。どんな言葉のボディブローが飛んでくるか解らないのだ。ご愁傷様といった様子で春人が瞠にビールの缶を渡す。アルコール類を元から飲まない晃弘と清史郎はオレンジジュースで。
「て、いうか皆乾杯ぐらいしようよー」
「……そういえば忘れてたな」
瞠のブーイングに、真っ先にビールを飲みだした煉慈が珍しく申し訳なさそうな声音を出した。
「まぁ、特別な日だし」
「ところで僕たちは何に乾杯するんだ?」
ジョークでもなんでもなく純粋な疑問から晃弘が尋ねた。
「……俺達の、前途洋々な新年に向けてか?」
「うぇー、俺は今年もここにのこるんだけど!留年しようよー!」
一人だけ幽霊棟に取り残される清史郎が喚きだす気配を察して瞠はそっと溜め息を吐く。
「清史郎、いい加減諦めろ、元はと言えば自業自得だ」
「そうだよ、清史郎のせいでしょう」
煉慈と春人に言い含められて清史郎はしゅんと項垂れた。去年の同じ日だったら決して見られない光景に瞠は目を細める。その表情は少し丘の上にいる副牧師の笑顔に似ていた。
「だいだい俺も茅も辻村も帰ってこいと言われたんだからね」
しゅんと項垂れた清史郎に春人が追随をかけた。春人も煉慈も晃弘も咲もさすがに今年の冬休みは帰省するようにと各々の家から言い渡されていたが、高校最後の年越しを大事な友人と過ごしたい一心で保護者達を納得させ、なんとかここにいる。
 だが、それに根負けしたのが一人だけいた。幽霊棟で学生六人と暮らしている保護者役の槙原渉だった。彼も粘ったが、相次ぐ怪我での入院で心配をかけまくった家族には未だに顔があがらない。おまけにこっそりとアルコールを飲んで馬鹿騒ぎしたかった学生六人はそれを後押しするように言葉巧みに槙原を誘導した。良い変化は沢山あったが、悪巧みにかけての知恵はそうそう変わらないらしい。そうして槙原は帰省する羽目になった。それを瞠だけがこっそり惜しんでいた。自分を泥沼から掬いあげてくれた槙原と新年を迎えるという大事な行事を過ごしたかったのはここにいる誰も知らないし、瞠自身も照れくさくて知られなくてよかったとすら思っている。
「……そうだ、白峰は特に大変そうだった」
目に入れてもおかしくないぐらいという表現がぴったりな春人の両親の様子をよくしっている晃弘は、この日のために春人がどれだけ頑張って説得していたのか想像できた。もう両親とのわだかまりはないのだ。あれほど帰るのを拒んでいた理由も、もう、何処にもない。
「まぁ、最後だからね」
いつものように柳眉を下げ困ったような笑みを浮かべて春人は答えた。どこか寂しげな色を浮かべて。
「……最後だからな」
「最初で最後でもあるね、清史郎」
高校一年生の年越しは学生寮の火事で、高校二年生の年越しは清史郎の帰還騒ぎで、まともな年越しをしてこなかった五人にとって入学してから三年目で初めての男子高校生らしい年越しパーティーが出来るようになった。年に一度だけ訪れる特別な日を皆で過ごす。新しい年を迎える、年齢を重ねるのにもう恐れや絶望を抱かなくていい。それは彼らにとってなによりも素晴らしいことで、いわば何よりも記念すべき日だ。皆がそれぞれ抱えてきたものを乗り越えた証のような日。
「……うっ」
今度は咲にじっとりとねぶられるように責められ、清史郎は言葉に詰まる。
「もー、皆、せっかく新年をむかえたんだからそういうこというのなしなし!」
このままじゃ清史郎が本気の本気で落ち込んでしまいそうだったので慌てて瞠は声を張り上げた。態度や口ではへらへらとしているが、清史郎は自分のやったことがわからないほど愚かではない。寧ろ人一倍敏感なぐらいだ。清史郎は清史郎なりに申し訳なさを覚えているのは瞠が一番知っている。
「……瞠はなんだかんだいいながら清史郎に一番甘いんだ」
「なぁ、もういいだろ?さっちゃん、俺も皆と乾杯したいんだよ」
「……うん、そうだね、乾杯しよう」
瞠にまで困った顔をさせたくなかった咲は大人しく引き下がった。なんだかんだ瞠に甘いのは春人の次に咲だ。自分の殻を破るのを、ずっと背負ってきた荷物をどうにかしようと頑張ってたのを咲は口にこそ出さないけれども応援していた。

 一通り言いたいことが言い終わった気配を察したのは春人がじゃあ、いくよと声をかけると、人一倍仕切りたがりな煉慈が遮るように乾杯と声を上げた。むっとした顔で春人が煉慈を睨みつけると勝ち誇ったように、煉慈が口の端を吊り上げ満足げに勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「じゃあ仕切り直して、カンパーーーーイ!」

 二人の間に剣呑な雰囲気が流れたのを瞠が察する前に清史郎が高々とオレンジュースが入ったグラスを上げて大きな声を出した。さっき自分に流れてきた不穏な空気を払拭するように、それにお祭り騒ぎが何よりも大好きな清史郎は我慢の限界だった。
「もう、清史郎はやっぱずるいよ」
ふてくされた春人の声にへっへーと太陽のような笑みで返す清史郎はすこぶる楽しそうだ。浮かれている。清史郎もずっと永く誰とも楽しい年越しなんてしてこなかったのだ。その嬉しさは皆、手に取るように解った。
「よかったなぁ、俺達、新年を迎えられて」
感慨深い声をだしたのは瞠だ。苦労や後悔という単語一つでは表現できない、自ら招き入れた出来事や降り積もった過ちはまだ根深く彼の心に悪魔のように棲みついているけれども。それでも本当に良かったと、心の底から言える自分自身が瞠は誇らしくてたまらない。
「うん、瞠、よかったね」
「……って白峰、お前、なに涙ぐんでるんだよ」
「だって瞠が……さ」
そう答える春人のまつ毛はひっそりと涙で濡れている。
「男だろ、もっとしっかりしろよ、それとも俺にまた心ない言葉でも投げかけられたいのか」
「もー二人とも!やめてよ!……ハルたん、ありがとうね」
謝罪とも感謝ともとれるありがとうの言葉に春人はただただ頷いて涙を堪える。今の瞠は春人が出会った頃から自分を気遣ってくれていたことも、本質を見抜いていてくれたのも自覚して、受け止められるようになっていた。自分を卑下すると悲しむ人たちがいると知ってしまったから。殻に閉じこもって自衛することだけに心血を注いでいた久保谷瞠という子どもはもういない。

 それは他の五人にも当てはまることだった。入学してきた当時の大人への侮蔑という矜持しか持たず、差し伸べられる手を払いのけて自分の物語に耽溺していた子どもではなくなっている。してきたこと、起きてしまったこと、どうしようもない不可抗力の出来事、哀しみ、怒り、憎しみ、色々なものが織り交ざって死という選択肢しか考えられていなかった小さな魂は、大きく変化していた。取り返せないことをしてきた自覚も、これから償う方法も全て何もかも抱え込まなくてはいけないけれども。その荷物を持ち歩く途すがらで、疲れてしまっても、手を差し伸べてくれる人たちを見つけてしまったから。

 「……いい日だな」
虚勢をはらなくても、愛してもらえる子供という自覚を。
「そうだね、とてもいい日だ、辻村」
失った視力の代わりに、見えるものがあるということを。
「うん、最高」
歪んだ性愛のぬくもりよりも、尊い愛すべき自分がいたことを。
「こんな日が続くといいね」
呪詛を喚き散らす亡霊じゃなくて、見守ってくれる暖かな人たちが空にいることを。
「……すげぇ、むかつく、いい雰囲気つくっちゃってさ、いいもん、俺もいつか追いつくから」
大人になっても、大丈夫だと。そう言い切れる自信と判断で、今度は自分が誰かを助けられるヒーローになれるということを。

 ちゃんと気づけることが出来た。

 外は雪がしんしんと降り積もりつつあった。とても冷えて静かな夜。閉ざされて誰もいないような外の世界とは違い、幽霊棟と呼ばれ、人々から忌み嫌われていた建物の内は今はとても華やいでいる。彼らが新しい年を迎えられた喜びに、建物ごと歓喜しているように。アルコールを浴びるように飲んだ煉慈は少し甘えだし、春人は珍しく我が侭を言って、瞠はそれをにこにこと眺めている。咲はいつもの毒舌を潜ませて、愛おしげに皆の頬にキスをして周った。清史郎はクリスマスでも誕生日でもないのにクラッカーを鳴らしまくっている。

「またいつかこんな風に新年をむかえられたらいいね」
「それはとてもいい案だ、白峰」
「したたねぇからつきあってやるよ」
「煉慈は仲間外れにしたら拗ねるからね」
「レンレンはいっつもそうなんだから、素直にいえばいいのに」
「もー!だから俺も呼んでくれよな!ぜーったい!ぜったいに!」

 当たり前でしょ、と言わんばかりの顔で全員に見つめられて清史郎は面食らった。でも、寂しい気持ちがするのはどうしてだろう。きっとそれは多分、二度と皆でこんなにも愛しい日を迎えられることはないことを、心ののどこかで理解している。清史郎だけじゃなくて、煉慈も、晃弘も、春人も、咲も、瞠も。だからこそ今日という日々をあらん限りの喜びで享受していた。

 「あーーーーーー!!やっぱり君たちまたお酒を飲んで!!!」

 ほんの少し、彼らがしんみりとし始めたころ、いきなり食堂のドアが開け放たれ、喚く声がした。まるで我が家のように遠慮もなしにズカズカと足音を立てて入ってくるのは実家に帰ってるはずの槙原だった。彼も随分この建物に慣れ親しんで久しい。
「え……マッキー、実家帰ったんじゃ?」
「先生、どうしたの?」
はぁ、と槙原は一つ大きな溜息をついた後、にこりと笑った。笑うと少し幼げな顔立ちが目立つ。
「みんなが……はっ……どうせこんなことしてるだろうと思って、無理いってきちゃった」
まるで悪戯をしたようなこどもみたいな声色だった。急いできたのか息が上がっている。
「……寂しいよ、僕も仲間に入れてよ」
「……酒はもう殆どねぇぞ」
「ふふ、そうだと思って買ってきちゃったよー、はぁ……重かった」
「先生、未成年の飲酒は……」
「今日は無礼講、最後だから」
最後だから、という槙原の言葉にますます寂しさとやるせなさが募るが、でもそれは彼らが生きてるからだ。死者はもう二度と味わうことが出来ない感情。
「おい、俺はどうするつもりだ」
槙原の後ろから不遜な声が聞こえてきた。
「兄ちゃん!」
「今度はちゃんと来てやったぞ、清史郎」
抱き着いてくる弟を頭を力のかぎり賢太郎はぐりぐりと撫でた。痛い痛いという非難の声がでたがそれでも清史郎は楽しげだ。満面の笑みがそれを物語っている。
「清史郎がよんだの?」
「お久しぶりです、津久居さん」
春人と晃弘が嬉しそうに目を細めた。
「おぅ……ったく元旦にこいとか、無茶ぶりされて、しかもおまけにこのクソ教師は俺を足につかいやがる。乗ってるるタクシーで迎えにこいだとよ」
二人は一緒に来たらしい。犬猿の仲なのに珍しいこともあるものだと皆、目を大きくして驚いた。
「津久居くんもどうせ来ると思ったからだよ、僕だって嫌だったけどね、皆、僕のこと待ってるだろうし」
「呼ばれたのは!俺だ!」
口げんかを始めだした大人気ない大人たちを見ながら子供達は大声で笑いだした。
「もー俺らのほうが大人じゃんかよ……」
笑いすぎて涙が出た瞠が、目を擦りながら突っ込むとそれに合わせて他の子供達も乗り出した。すると、ふっと槙原の目が真剣な色を帯びる。

「そうだよ、君たちのほうが大人になるんだ、これから」

 その言葉に辺りは、一瞬静まり返ったが、お前よりこいつらのほうがもう大人だという賢太郎の容赦ない言葉により空気は元に戻った。
「津久居くんは黙っててよ!」
「まぁまぁ、二人とも、ほら、飲んで」
瞠がビールを差し出す。宴に無粋な空気は要らないと判断したのか大人二人はビール片手に思い思いに子供達の相手をしだした。賢太郎はとりあえず清史郎に話に一生懸命耳を傾けて。空白の時間はうめることはできないけれどもこれから作っていけるといわんばかりに。槙原は相変わらず酒を浴びるように飲みながら、実家の話や大学生活の話をしている。

 ああ、なんて暖かいんだろう。

 去年も一昨年も年を越した瞬間には子供達には絶望しかなかった。こんなにも希望が降り注ぐ日がくるなんて誰も想像なんてしていなかった。出来るはずがなかった。けれども今は───。

 そうそう簡単に傷は癒えない、彼らの心が今も傷んで、痛み、悼み続けているのは変わらない。それでも───前に進むことが出来る足があるから。足掻いて、みっともなくても、笑わないでいてくれる人たちがいる。血をながしたら手当をしてくれる人がいる。

 ───そして何よりも尊くて愛しい仲間が。

 だから去りゆく日々を愛そう。共に愛そう。明日の為に。生きる為に。もう死は彼らを惑わさないのだから。

 『さようなら愛しい日々、そして喜びを新しい日に』


<了>




ネヴァジスタに出会えてよかった!
タース様ありがとうございます!


◆ とな
◆ @t0na38


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