別れの日。すっと背筋が伸びるような寒い春の入り口だった。
 初めての担任としての卒業式、これほどまで深く関わる事になった子供たちとの別れはきっと二度とないだろう。
 そのうちの取り残されてしまう一人は会場内にはいなかった。中に犬を入れると言って聞かず、つまみ出されてしまったのだ。その代わりを果たすように、彼によく似た、しかし彼よりもふてぶてしい顔が図々しく座っている。勿論保護者席に。先生方、睨むなら僕じゃなくてあちらではないでしょうか。
 突き刺さる視線をさりげなくかわしながら、マイクに向かって歩き出す。第一声、音が少し跳ねて幽霊棟の子どもたちが笑った。
「和泉咲」
 猫のような彼はその声に満足したように笑った。

 大事なものを数えるような優しい声。もっと聞きたい。もっと呼んでほしい。愛しくて仕方なくて思わず先生を抱きしめた。こらっ、と小声で怒られた。会場内も少しざわつく。
 厳かなその空気の中でクラッカーを鳴らしたい。別れの寂しさを吹き飛ばすような賑やかさを。たかが紙切れ一枚受け取る行事に涙したくない。

 檀上に上がる。世界一愛しい彼女と世界一憎らしい男が肩を並べ、僕に手を振っていた。もう嫉妬するのもみっともなくてやめてしまった。精一杯の虚勢の笑みで手を振りかえす。
 結局僕らはばらばらになるだろう。瞠とも、春人とも、晃弘とも煉慈とも。花や、眞とも。――パパとそうしたように。
 声を上げて泣こう。彼らとの交流が途絶えても、みっともなく大声で泣いた生徒が一人いたと、彼らの記憶に残れるように。

「茅晃弘」
 一番席が近かったからか、檀上から戻ってきた和泉は真っ直ぐ僕に泣きつきにきた。なだめているうちに名前を呼ばれて少し慌ててしまう。槙原先生はゆっくりでいいよ、とでも言うようにこちらに向かって微笑んでいた。
 なんとか彼をなだめて席に戻らせる。白峰に縋る僕もああいう感じだったのだろうか。少し恥ずかしい。――恥ずかしいと思えるようになった。
「よっ、生徒会長!日本一!」
 もっと恥ずかしい事をする奴もいた。斉木、あとで覚えていろ。
 檀上から見回した景色に父さんはいない。兄さんはいたが、時々目をふさぎたくなる。彼らに歩み寄ることも、きっと出来るようになるだろう。何年も離れていた二人の兄弟が信頼を取り戻したように。記憶をなくす事を恥ずかしくないと思えるようになったように。白峰に縋る事を恥ずかしいと思えるようになったように。
 保護者席の隅の方で、津久居さんが笑っていた。

「久保谷瞠」
 短くなった髪には未だ慣れない。本当に丸坊主にしようとしたさっちゃんを慌てて止めたあの日を思い出して、少し苦しくなった。
 すれ違った一瞬、マッキーが俺の肩を押す。驚いて振り返ると彼は笑ってピースサインを送ってきた。見抜かれているのかもしれない。

 重ねた罪を振り払えるような言葉は未だに見つからなくて、きっとそんなものはないのだという事も分かっている。それでも探してしまうのだ。彼らに償う言葉を。
 みんなは言うだろう。今日までそんなこと言って。いい加減にしたら。
 その言葉に甘えて振り落す事がきっと罪なのだと、そう思えた。一生背負って行く。前を向きながら必死に。あいつと二人で。
 そう決めた。
 別れを経ても、彼らの泣き顔を、荒んだ顔を、眠った顔を、笑った顔を、笑ってくれた顔を、覚えていよう。
 いつまでも、ずっと。

「白峰春人」
 今日も睡魔に抗う事が出来なくて、瞠に肩を揺さぶられて慌てて立ち上がった。
 悪い夢は眠りを浅くする。許された今でさえ、ずっと。敬愛する教師を刺してしまった世界一の役者も、この罪の意識から逃れる事が出来なかったのだろう。
 一度逃げだして、二度と逃げないと誓い、結局逃げを選んでしまった数年間。彼らに出会えて良かったと心から思う。
 悪夢はこれからも繰り返し俺を苛むだろう。だけど、希望もある。彼が遺してくれた手紙のような温かい希望が。たくさんの人たちの支えが。俺のちっぽけな足掻きを見守ってくれる人との繋がりが。
 ねえ、見てくれているでしょう?ともも、鉄平も。

「辻村煉慈」
 背に力を入れて立ち上がる。涙を流したくなかった。
 これで終わりだと思いたくない。出来ればずっと続いていたい。何年先も、何十年先も繰り返し出会えるような関係を築いていきたい。
 甘えているのだろうか。それでも、願ってしまう。人生で二度とないような奇跡の結果巡り合えた人々を簡単に手放したくないと。せめて無神経に傷つけ続けた償いを果たせるまで。
 檀上にのぼる前に周囲を見渡す。槙原がいた。賢太郎がいた。白峰がいた。和泉がいた。茅がいた。久保谷がいた。吾朗兄に、寛子、親父――新しい家族も。
 こみあげる何かに抗う方法はなく、視界が滲んでいく。
 あんなに嫌いだった世界は祝福してくれていた。
 俺の成長の日を。

「あー!やっと出てきた!」
「お前な、恥ずかしいだろう。ほどほどにしとけ」
 堅苦しい式典が終わり、俺と同じ名の犬を連れた清史郎が駆け寄ってきた。
「止めもしないで他人のふりしといてよく言うよ。大体卒業生保護者じゃないくせに何で来てんの」
「清史郎に頼まれたんだよ。悪いか」
「悪いよ」
 槙原は相変わらず俺には絡んでくる。恨んでるとかじゃない。生理的に駄目みたいだ。面と向かってそう言われた時はもうこいつに遠慮する必要はないなと思った。
「そりゃ悪かったな」
 適当に受け流して別れを惜しむ子供たちを振り返る。

 魔法の薬をのんでネヴァジスタへいきました。清史郎の定めた物語に抗った彼らはこれから成長していくのだろう。出来れば後悔のない人生を。そんな俺の想いは叶うのか、見守ることさえ難しい。

 続く物語に希望があるように。いるかも分からない神に祈ってみた。


ネヴァジスタ一周年おめでとうございます!
どっぷりネヴァに浸かった一年でした。
素敵な作品を作ってくださったTARHSのみなさんに
深く深く感謝します!


◆ 篠崎
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