事の発端は、その冬最初の雪の朝。
あの事件の終わりから、ちょうど1年が経とうとしていた頃。
はらはらと舞う雪の結晶を手に乗せ、解けていくのをじっとみつめていた彼の思いつきだった。
「雪が積もったら、雪合戦しような!」
子供のような無邪気な一言で、喜劇とも悲劇ともいえる出来事が起こるとは誰にも想像できなかった。
***
「うわっ!すげえ積もってる!」
白銀の世界を眼前にして、まず第一声。
普段なら寒さに耐えきれず布団から出るまで手間取るが、雪の日独特の静けさを感じとり寝起き後すぐさまカーテンを開いた。
天気予報も大雪注意を促していたし、昨晩から降り出した大粒の雪を見て、これは積もるだろうな、とは思っていたがここまで積もるとは予想していなかった。
深々と降り積もる雪の日、この日をどれほど待ちわびていたか。清史郎の目は雪の光に反射してきらきらと輝いていた。
「兄ちゃん!雪!積もってる!」
ベッドの隅に追いやられて眠っている兄に声をかけた。
朝から元気すぎる弟に辟易するかのように毛布を頭まですっぽりかぶり、賢太郎は弱々しく抗議した。
「……もう少し寝かせてくれ」
「兄ちゃん、疲れてんね。さすがにいっこのベッドで二人で寝るのはきつかったかな。他の部屋でもよかったけど、やっぱり一緒に寝たかったからさ……」
清史郎は申し訳なさそうに、毛布の上から賢太郎の頭を撫でた。
雪が積もってからでは、賢太郎がここまで来るのは難しいと考え、昨日のうちに呼び出していた。
仕事が忙しいだろうから、急に呼び出したところで来ないかもしれないとも思ったが、「行く」と即答だった。
案外すんなり来てくれたから嬉しいが、過去の行いに対しての戒めとも取れるから多少寂しくもある。
「兄ちゃん、最近忙しかったんだろ?……別に、来てくれなかったからって吹雪の日に失踪とかしないのに」
「妙にリアルな例えだな。……最近来てなかったから、呼んでもらってちょうど良かった。おまえにも寂しい思いさせすぎたしな」
「そりゃ寂しかったよ。じゃあ兄ちゃん、俺のお願いきいてくれる?」
「ものによるぞ?あまりにも非常識だったり、人さまに迷惑かけるのは駄目だからな」
賢太郎は一抹の不安を覚え、起き上がって清史郎を見据えた。
だが、清史郎の考えていることはそんなに突飛なことではない。
彼の願いは、すぐにでも簡単に叶うものなのだから。
***
丘の上の学校は冬休みに入っていた。
みんなで過ごす最後の冬休みだから、と学生たちは幽霊棟で年を越していた。
槙原は帰るように促したが、学生たちに懇願され結局OKを出してしまった。
「寒いと思ったら、雪すごい積もってるじゃん!」
「煉慈、こんなに寒い日はおでんが食べたくなるね」
「ん、そうだな。おい茅、白峰はどうしたんだ。早く来ないと俺の飯が冷めるだろ」
「さっき起こしに行ったけど、寒くて布団から出られないって言ってたよ」
「いいから起こしてこい」
「わかった。行ってくる」
「清史郎君、昨日はちゃんと眠れた?津久居君に場所とられたりとか、布団引っ張られたりとかしなかった?かわいそうに……津久居くんなんて、ソファーで十分だったのに」
「おい、槙原。喧嘩売ってるのか。むしろ俺の方が端に追いやられて狭い思いをしたぞ」
「えっ。兄ちゃんごめんな!俺、布団引っ張ったりとかもしてた?」
「いや、それはなかったが……」
雪が珍しいわけではないが、予想以上に雪が積もったことで少し気分が浮き立っている。
朝食の席では普段より会話が盛り上がっていた。
「あ、ハルたんおはよう」
茅に手を引かれ、のろのろと白峰が起きてきた。まだ半分目を閉じて夢見心地だ。
「ん……おはよ」
「ほら、白峰。ちゃんと座って」
茅が椅子を引いて白峰を席へと座らせた。
「あれ、賢太郎がいる?首輪……してない」
ふわふわとした意識の中、白峰は賢太郎を見て夢なのか現実なのか混乱していた。
「首輪って、おまえ……俺は昨日来ただろう。覚えてないのか」
「ああ。そうだったっけ……」
そんな気もする、と付け加えて朝食を口に運びながら昨日の出来事をぼんやりと思い出す。
「これで、全員集まったな。みんな、俺が言ったこと覚えてる?」
清史郎は箸を置き、席に座る全員を見わたし話し始めた。
誰しも何のことだという体で、清史郎に注目した。
「雪が積もったら、雪合戦しようなっていっただろ」
「雪合戦って……清ちゃん本気だったんだ」
「おい、雪合戦なんて子供じみたこと……」
「いいんじゃない。僕は清史郎がやりたいなら、参加するよ。楽しそうだ」
「ん、雪?雪が積もってるの?どうりで寒いわけだ……」
「白峰は起きたばっかりだから見てないだろうけど、結構積もっているよ」
ざわつく子供たちをよそ目に大人ふたりは、子供は元気だな、と笑っていた。
「あ、兄ちゃんと先生も参加だから。特に兄ちゃんはそのために呼んだんだから」
賢太郎と槙原は、清史郎に笑顔を向けられ強制参加を宣告された。
「聞いてないぞ」
「今言った。それに、兄ちゃんさっき俺のお願い聞いてくれるって言ったじゃん」
「そうなの?賢太郎、約束は守らなくちゃ」
いつの間にか覚醒していた白峰が、賢太郎を諭す。
「だけどな……」
「なんだよ。あんたまた約束やぶるの?清ちゃんがどれだけ寂しい思いしたかわかったんじゃなかったのかよ。ホント成長しないのな」
久保谷に睨まれ悪態をつかれる。
兄としての威厳を失ってしまいそうになった。
「……わかった。やるよ、雪合戦」
こうして、清史郎の願いを承諾してしまった。
***
幽霊棟の前、一面に広がる何の汚れもない真っ白な世界。
誰よりも早く足跡を付けようと、清史郎がまっさらな雪の中へ駆け出した。
「すげえ!こんなに積もったの初めて見た!」
「子供かよ、あんまりはしゃぐと雪に埋まるぞ」
「そういう辻村もやる気満々だね。もう雪玉作ってる」
「かまくらでおでんなんてオツだと思わない?」
「いいね。かまくら作ってみたいな」
「さ、寒いね、さすがに。みんな薄着過ぎない?最近の子はみんなそうだよね」
「 軟弱な奴だな。鼻たれてるぞ」
「えっ、下手な嘘つかないでよ!津久居君だってガタガタ震えてるじゃん。寒いんでしょう!」
賢太郎は弟の頼みを承諾したことに多少後悔しながらも、結局言うことを聞いてしまう自分を甘いな、と鼻で笑った。
もっと早くからこうしてあげていればよかったな、と思ったりもする。
ニュースによると例年よりも大雪だという、その景色を見わたし白峰はそっと清史郎に耳打ちした。
「ねえ、清史郎。この大雪の中、賢太郎帰れるのかな?」
「ん、帰れないようにこの日を選んだんだけど」
「は、ちょっと……」
「兄ちゃんはまだここにいてほしいんだ……夕方からまた降るって予報が出てたし、今日明日中には帰れないだろな」
伏し目がちに発した声は、どこか悲しげだった。
***
久保谷はひとり雪道を踏みしめ歩いていた。目的は、一人の男を呼ぶため。
「誠二」
牧師舎の前で、スノーダンプで雪除けをしている神波に声をかけた。
いつもの牧師服ではなく、動きやすいようにスノーウェアを着ている。
「あ、瞠くん。おはよう。すごい雪だね」
手伝いに来てくれたの?と、雪に突き立ててあったシャベルを渡してきた。
「違う違う。あんたをさ、誘って来いって言われて」
「誰に?何に?」
「清ちゃんに。雪合戦するから誠二も来いって」
「え。雪合戦……」
神波はぽかんと口を開けて、なぜそんな事に呼ばれたのかと疑問がよぎった。
「マッキーと賢太郎もやるっていうし、おまえも来る?」
久保谷は顎で幽霊棟の方向をさした。
清史郎に呼んでくるように言われる前に、久保谷は神波を誘うつもりだった。
断られても、雪合戦なんて、と馬鹿にされてもいいから、神波に来てほしいと思った。
考えるそぶりをみせる神波に、顏をこわばらせる。
「やっぱり、やめとく?」
久保谷は神波から視線を外して、少し肩を落とした。
来て欲しい、とはっきり言えない久保谷を、神波は目を細めて少し笑った。
ちょっと意地悪だったかな。そんなに緊張しなくてもいいのに。
本当は、初めから決めていた。
「せっかく瞠くんが誘ってくれてるんだ。やるよ。雪合戦」
彼もまた、子供の無邪気な願いを叶えたいと思った。
***
雪を踏みしめるたびに、ぎゅっぎゅっと音が鳴る。
昨日は確かに雪は降っていたが、積もってはいなかった。
「一晩でここまで積もるとは思ってなかったんだが、俺はこの雪の中帰れるのか?」
危惧していた兄の質問に清史郎は、心臓が跳ねた。
「……」
「まさか、おまえ……」
「兄ちゃんはもう帰りたいのかよ」
眉を顰めて賢太郎を睨みつける。
兄の勘の良さを呪った。策略がバレてしまわないうちに、手を打たなければならない。
「ひどいよ、賢太郎。久しぶりに来たと思ったら……」
白峰が賢太郎を糾弾する。彼は完璧に清史郎の味方だった。
「春人、俺はこんなに積もるとは聞いてなかった。ひどいのはどっちだ」
「いいよ、いいよ。帰りなよ、僕がいるんだから津久居くんなんて必要ないって」
槙原は、これ幸いと帰るようにせかす。
「今すぐに帰りたいわけじゃない、ただちゃんと帰れるのか心配なだけだ」
「えいっ!」
ゴツッと、冷たくてかたい物が賢太郎の後頭部にあたった。
「わ……」
白峰の短い驚きの声とともに、賢太郎は頭を抱えその場にうずくまった。
「なんだ、雪玉が当たったくらいで大げさな奴だな」
「おい!誰だ投げたのは!石を入れただろう!」
辻村が賢太郎を見下ろして笑ったが、賢太郎は目に涙を浮かべて訴えた。
「投げたのは僕だけど、作ったのは晃弘だよ」
和泉は冷や汗をかき、おずおずと申し出た。
石なんて入れたの?と茅に視線を送り尋ねる。
「石なんて入れてないけど?津久居さん、気のせいです」
「気のせいなもんか!普通、雪が当たったからってこんなに痛いわけないだろう!」
「賢太郎、本当に石なんて入ってないよ」
白峰が雪玉を拾い上げてみせた。
「茅、力こめて雪玉作りすぎだよ。もっと加減して」
「わかった、努力しよう。津久居さんすみませんでした」
「お前の力は一体どうなってるんだ……」
「晃弘、雪玉たくさん作ってたよね?」
「ああ。暇だったからね。あそこに置いておいたよ」
茅が指を指す方向では、雪玉が山をなしていた。
その量が、彼がいかに暇だったかを物語っていた。
ボスッと、また賢太郎に雪玉が当たった。今度は顔面に。
先ほどよりは痛くないが、鼻先が冷たい。
「こら、清史郎!」
「ふん。俺の存在忘れて、みんなと仲良くしてさ……!」
「忘れてない!だから、投げるな!……このっ」
投げるな、と怒鳴っても構わずに雪玉を投げ続ける弟に向かって、反逆とばかりに賢太郎も雪玉を投げつけた。
「ぶわっ!冷たっ!」
顔面に命中。眼鏡が宙を舞う。
賢太郎が投げた雪玉は槙原に当たっていた。
「ちょっと!津久居君、今のわざとだろ!」
眼鏡をかけ直し、賢太郎を睨みつけ非難した。
「手が滑った。悪かったな、槙原」
「この野郎っ」
槙原は雪をわし掴み、砂場の砂をかけるかのように雪を投げつけた。
賢太郎の顔面で、ベシャッと、音を立てて弾ける。
「ぎゃは!どんくさい。こんなのも避けられないなんて」
「槙原ァ!!」
二人の争いはそのままヒートアップしてしまった。
傍から見れば年甲斐もなく楽しげだが、本人たちにとっては本気の戦いだ。
学生たちは、そんな大人を半ばあきれ気味に横目で見ながらミーティングを始めた。
「どうする?兄ちゃんたち、瞠が帰って来る前に雪合戦始めちゃったよ」
「元はと言えばおまえが原因だろ……俺たちもまざるのか……」
「晃弘、さっきの雪玉使っていい?」
「え、いいけど」
「って、良くないよ!さっき賢太郎が当たって、痛がってたじゃない」
「あれは演技だろ?おまえ、監禁してた時も騙されたのに、また騙されて……懲りないやつだな」
「な……」
「いいじゃん。せっかく晃弘が作ったんだから、あれで雪合戦しよう」
「暇だったから作ってただけだけどね」
こうして幽霊棟前で恐怖の雪合戦が幕を開けた。
***
降り積もった雪が音を吸収してしまう。
近くにいるのに、遠くから聞こえてくるような不思議な感覚。
「施設の子たちに、雪が降ったら雪遊びしようって言われたんだ」
「へえ。じゃあ、予行練習だと思って体慣らしておけよ。結構体力使うぞ」
「みんなみたいに若くないしね、ほどほどにしておくよ。」
幽霊棟に向かって、久保谷と神波が並んで歩く。
雪に足を取られながら歩いているせいで、普段より歩くスピードはゆっくりだった。
幽霊棟の方から声が聞こえてくる。
「みんな、もう始めちゃってるみたいだね」
「なんだよ。待っててくれてもいいのに」
文句を言いながらもどこか楽しそうな声色で話す久保谷ににつられて、神波は顔がほころんだ。
幽霊棟に近づくにつれて、さっきまで聞こえていた彼らの声は聞こえなくなっていった。
「遅くなってごめんな……って……え」
びゅんっと、飛んできた雪玉が久保谷の頬をかすめた。
どさっと、雪に大きなものが落ちるような音。
音のした方を振り向くと、神波が雪にダイブしていた。
「せ……せいちゃ……誠二!」
倒れた神波の肩をゆするが、完全に意識がない。
幽霊棟前は不自然なほど静かすぎる。ふと、あたりを見渡す。
「あ……なに?なんでみんな……」
雪の上に幽霊棟の友人たちと大人ふたりが倒れている。
ただ一人を除いて。
「遅かったな、瞠。」
ふらり、と体を揺らして現れたのは清史郎だった。
「危なかったよ。俺の計画が兄ちゃんにばれそうになったんだ。でも晃弘のおかげでどうにかなりそうだ」
久保谷は、唐突に話し始める清史郎を、困惑した表情で見つめる。
「瞠。瞠が最後だ。晃弘の作った雪玉で痛い思いをするのと、俺の計画を手伝うの、どっちがいい?」
「何の事……ていうか、雪玉でみんな倒れちゃってんの!?おかしくない!?」
「気にしたら負けだ。なあ、瞠は俺の味方だよな?」
助けを求めるように、今にも泣きだしそうな目で縋ってくる。
「ずるいよ。清ちゃんの頼みを拒めないこと、知ってるでしょ」
清史郎の無茶な頼み事を叶えたいと、願ってしまう事実に久保谷は笑いしか出てこなかった。
***
「ん……」
柔らかいベッドの上で寝返りをうつと、かちゃ、と音がした。
首と手首に懐かしい違和感を感じる。
「おはよう兄ちゃん」
「……ああ、おはよう」
そういえば、弟とその友人たちに会いに来ていたんだっけな。
清々しい声で挨拶をする弟に、ここが自分の部屋ではない事を思い出させられる。
寒さに身もだえし、布団を引っ張り上げる。
かちゃ、とまたいつかどこかで聞いた音がした。
ああ、手錠の音か……手錠?なぜ手錠をしているのだろうか。
「おい!清史郎、なんのまねだ!」
飛び起きて清史郎を怒鳴りつけたが、彼は涼しげな顔でこたえた。
「あれ、気づくの遅いよ」
ふっ、と笑って賢太郎に顔を近づけた。
その顔つきは、まだ少年のあどけなさが残っているが、段々と大人に近づいてきている。
「まだ帰らないでよ……」
「……また俺を監禁するのか」
1年前の事件が頭をよぎる。
あまり刺激しないよう、なだめるような口調で問いただした。
「監禁なんてしない!兄ちゃんにまだ帰らないでほしいだけだよ」
しばらくここで一緒に過ごしてよ、と屈託ない笑顔でこたえる弟に兄は閉口した。
これが、津久居賢太郎軟禁事件の始まりだった……
『俺の弟が軟禁なんてするわけがない!』
☆END☆ |