いつもと変わらない朝だった。冬独特の身を切るようなキンとした空気。

ああ寒い。耳なし芳一みたいに、耳が千切れてしまいそうだ。
耳を取るのは幽霊じゃなくて、この冷たい空気だけど。

「和泉」

振り返ると、仏頂面の煉慈がいた。
何をしてると言われても困る。ただここに立っているだけなのに。

「なんだと思う?」
「俺が知るかよ。そんなことより……」
「煉慈、僕の耳が取れちゃう」
「は?お前何……」
「あっためて」

前よりちょっと近づいた気がする煉慈の顔を見上げると、煉慈はため息を吐いてポケットをあさった。
出てきたカイロを、僕に握らせようとする。
そんなのじゃつまらないよ煉慈。君の熱いハートであっためてくれなきゃ。

煉慈の手からカイロを取って、自分の上着のポケットに落とす。
温かくなった彼の手から熱が逃げてしまう前に、僕の耳に押し当てた。
冷たさからか、嫌悪感からか、煉慈の手がひくりと動く。
けどすぐに、彼の手は武骨に、けれど優しく僕の耳を覆った。素直な煉慈の行動に、僕の方が驚く。
僕が手を伸ばして彼の耳を覆っても、彼が嫌がる素振りはない。

「どうしたの煉慈。今日は嫌にかわいいじゃない」

眉を寄せる煉慈。あー、と唸ってからため息を吐いた。
耳を塞がれているから、くぐもって届く声が聞こえる。

「これで最後だしな。和泉、さんざんやれって言ったのに、結局終わってねえんだろ。手伝ってやるから、さっさと荷物……」

冷めた空気に、乾いた音がした。
ふたつの目が丸くなって、僕のことをじっと見ていた。
彼の目が見れない。僕は自分から目を逸らす。地面を見る。口が開いた。カラカラだ。舌がくっついて動かない。「やめて」声が出ない。でてる?
煉慈の影が揺れた。

「なんでそんな風に言うの。もう二度と会わないみたい。捨てるの煉慈、僕のこと。せいせいした?面倒だったもんね、僕の相手は」
「おい和泉、」
「キライ、煉慈だいっ嫌い。バカ、知らない」

途方に暮れる煉慈を置き去りに走った。
幽霊棟から離れたかった。ずっとここに、居たいのに。




―――なんでここに来ちゃったんだろう。
壁にもたれて座り込む。

煉慈の気遣いが嬉しくなかった。今日で縁が切れちゃうみたいで。
ここに居なきゃ、繋がってられないような縁なのなら、一生ここで過ごしている方がいい。
皆でずっと幽霊棟に。

「何してるの、こんなところで」

扉が開く。凍えるような風の中で、暗くはためく牧師服。
その裾が、しゃがんだ僕のほっぺたにぶつかった。

「誠二」
「いいの、こんなところにいて。支度は?まさかお別れを言いに来たの。そういうのいらないんだけど」
「うるさい」
「はあ?わざわざここに来たのは君でしょ。用がないなら帰ってよね。喧嘩買うほど暇じゃない」

不機嫌な声。そのくせ誠二は中に戻ろうとはせず、僕の横に腰を下ろした。
吃驚した。

「何、どういう風の吹き回し」
「別に。いつまでもここにいられると鬱陶しいから、早く出て行ってもらおうと思って」
「そう」

仏頂面の誠二から地面に視線を移す。
さっき心にもないことを言って、置いてきてしまった男に似ていたから。

冷たい風が吹いて、そういえばあまり寒いと思わないことに気付いた。
上着のポケットに手を入れる。じわりと僕を温めるひとつのカイロ。さっき、煉慈がくれたやつ。

「ねえさっちゃん」
「なに」
「一番信じてないのは、さっちゃんでしょう」
「……どういう意味」

僕らを取り巻く空気のように、もしくはもっと冷たく鋭く砥がれた声で、僕は誠二に応戦する。
だけど誠二には、僕と戦う気は少しもなかった。
気勢を削がれた僕は、黙って地面を見続ける。

「別れてしまったら、一緒に居られなくなったら、関係が終わってしまうかもしれないと思っているのは他の誰でもなく君だ」
「……どうしてそんなことを言うの。思ってない」
「じゃあどうしてここに来たの。逃げてきたんでしょう、幽霊棟から。今日でみんながいなくなるあの場所から」
「そんなことない」
「嘘吐き」

苛々と僕はカイロを握りしめた。
わかった風な口ぶりがムカつく。誠二のくせに。

「さっちゃん、もう少しみんなを信じてあげなきゃ。卒業くらいで切れちゃうような、そんな仲じゃなかったでしょう」

手の中のカイロが熱い。火傷をしてしまいそうだ。
痛くて、唇を引き結んだ。わかってる。わかってた。

知ってたんだ。それぐらい。
僕が皆を大切に想うのと同じくらい――皆も僕を、大事に想ってくれてるって。

「そんなこと、誠二に言われなくてもわかってる」
「うん」

頭が少し重くなった。
この人が、僕にこんなことをするなんて。
なびいた僕の髪が、誠二の長く細い指を擽る。
顔は見なかった。相変わらず地面を見つめていた。
誠二の声は、優しかった。

「ただ――――寂しいだけ」

これから先、花も、皆もいない世界で、僕はどうなっていくんだろう。

未知の世界。誰も知らない、何も見えない。

踏み出した先にあるものひとつひとつ、僕はまっすぐに受け止めて、前を向いて歩けるだろうか。


自分ひとりで。


「迷いそうになった時に……今ここにいるのが自分一人でも、独りじゃないって知るために、皆のところに帰りなさい。皆が、君のことを待ってるよ」






僕が彼をはたいたのと同じ場所に、煉慈は変わらず立っていた。
耳も、鼻の先も真っ赤。中に入ってればよかったのに。

愛おしさがこみあげて、僕は煉慈に抱きついた。
煉慈が怒る様子はない。これも、最後だからだろうか。
それならそれで、もういいや。
どこまでわがままを聞くつもりだろう。残り少ない時間の中で、試してみるのも楽しいかもしれない。

「煉慈」
「なんだよ」
「ぶっちゃってごめんね」
「本当にな。寒いし、お前は中々戻ってこないし……」
「カイロをあげるよ」

ポケットから出したカイロは、もうすっかり冷えていた。
僕のポケットに温もりを置いて。

「もう使えねえじゃねえか」
「ダイジョウブ。僕が煉慈を暖めてあげる」
「いらねえよ」

はーー、と疲れたように息を吐いて、煉慈は僕に背を向けた。
正面には幽霊棟。
皆で過ごした、僕たちの家。

「荷物、いい加減にまとめろよ」
「うん。手伝って、煉慈」
「しょうがねえな」



僕たちはここを出ていく。

僕たちだけの未来を、掴んで、歩いていくために。




ネヴァジスタ一周年、本当におめでとうございます!
出会えてよかったと、心から思います。ありがとうございます!


◆ 藍果
◆ @hanabyakuroku
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