「へっくしゅんっ!」
「だ、大丈夫? 久保谷君」
「あー、平気平気。ごめんマッキー、窓閉めちゃうね」

短くなった襟足、そこから覗くうなじに手をやりながら、久保谷瞠は軽く鼻を啜った。
放課後の教室、開け放たれた窓から入ってくる風はとにかく冷たい。
そろそろ吐く息も、真っ白になる季節だ。
冬本番は、目の前である。

「短いの、まだ慣れない?」
「んー、そうかも。おかしいよな、中学ん時とかずっとこんくらいだったのに」

そう言って、瞠は苦笑いを浮かべた。
放課後の教室には、瞠と彼の担任である槙原渉しか残っていない。
広げられた参考書は、瞠の受験する大学の過去問が掲載されたものだ。
渉監視の元テスト形式で問題を解いていた瞠だが、その結果はまずまずと言った所である。
元々学力に問題のあった瞠のことを考えれば、十分な出来だ。

「どうしよう。センター試験の対策、続けてだとつらいよね」
「んー……」
「いいよ、無理しないで。今は大事な時期なんだ。帰って、あったかい部屋で休もうよ」
「……マッキーの部屋、行ってもいい?」

閉じた窓に寄りかかりながら、おずおずと瞠が口を開いた。
相手の気配を窺いつつも、素直に期待を仄めかす瞠の態度が微笑ましく、渉もにっこりと笑みを返す。

「勿論だよ。さ、一緒に帰ろう」

渉の言葉に、瞠の表情が華やいだ。
へにゃっと柔らかく、どこまでも幸せそうな瞠のはにかみは、見ている側をも暖かい気持ちにさせる。
瞠の子供らしい仕草に、渉の笑みも深くなった。

ほのぼのとした空気をそのままに、二人並んで歩く帰り道。
ふと渉が目を止めたのは、瞠が巻いているマフラーだった。

「早いね。もう出したんだ」
「あー、うん。首周りがさ、やっぱり落ち着かなくて」
「……その柄、見覚えあるかも」

瞠が身につけているマフラーのデザインは、それだけだと有り体とも呼べるチェックのものである。
しかし配色のセンスは独特で、ぱっと見で惹きつけられるオレンジの鮮やかさは、通りすがる人間も思わず目をやってしまう派手さを持っていた。

「昨年、レンレンに貰ったんだ。これ」
「誕生日に? あ、でも久保谷君は四月か。それならクリスマス……」
「いやいやいや、そういうプレゼントとかじゃなくて! えっと、レンレンの私物だったから……その、マッキーも見覚えあったんもそれじゃないかなーって……」

そうして語られた、瞠の思い出話。
丘の上ということもあり、この学園での冬の寒さは毎年かなり厳しいものだった。
その日はたまたまタイミングが合い、瞠は同じ幽霊棟に住んでいる辻村煉慈と一緒に帰ることとなる。

「俺さ、そん時ちょっとだけ風邪気味で。鼻水止まんなくて」
「ああ、そう言えば鼻啜ってた時期あったねー」
「そうそう、その時。でさ、俺コートは着てたんだけど、マフラーとか手袋とか一切持ってかなくてさ……しかもあの日、雪だったじゃん……ほんと、マジ馬鹿だよね……」

一方煉慈はちょうど締め切りも近かったそうで、健康管理にはかなり気を使っていたらしい。

「めっちゃくちゃ馬鹿にされた。風邪薬も飲み忘れてさ、そのこともボロッ糞言われて。もう、泣きそうだった訳よ」
「うわー、想像できちゃうなぁ……」
「それで俺、ちょっと情緒不安定にもなってたから……こう、ウルウルっときちゃって。マジ、きちゃって」
「うるうる?」
「かっこわりいっしょ……本気で、泣きそうになってたんだ」

口を閉ざし瞳に涙を溜める瞠の様子に、さすがの煉慈もぎょっとなったらしい。
気まずさに舌を打つ煉慈に、瞠はさらに肩を竦めた。
そうして小さくなった瞠を横目で見ながら、煉慈は徐に足を止める。

「肩、捕まれて。レンレンの方、向かされて。……泣くなよって、言われた」
「うんうん」
「それで、その……レンレン、自分のマフラーを……俺にそのまま、巻いてくれたんだ……」
「そうなんだ」
「やるって言われて。悪いよっつったけど、いいって。結局、貰っちって。何か恥ずかしくて、昨年はあんま使えなかったんだけど……」

その時の光景を、思い出しているのだろう。
煉慈に迷惑をかけたという負目と、得られた優しさに対する幸福感が、瞠の心へ同時に甦っていく。
湧き上がる喜びに頬を染める瞠の様子、照れる仕草そのものに含まれた友人への好意。
一見で他者にも伝わるくらい、瞠の内情は分かりやすい形で生じていた。


「嬉しかった?」
「……うん」
「仲、いいね」
「……そっかな」
「羨ましいよ」

渉の言葉でさらに眉を寄せた瞠が、もじもじしながらマフラーの裾を弄り出す。
すっかり瞠の物として定着したそれは、それこそ喫煙者だった元の持ち主の残り香も、今では全く残っていなかった。

「特別なイベントの時に貰った物じゃないなら、尚更だよね。辻村君が君を思ってのことだもの。君達が仲良しだと、僕も嬉しいな。その輪の中に、僕も混ざりたいよ」
「と、とっくにマッキーも入ってるって!」
「本当?」
「本当だって!!」
「嬉しい」

必死になって肯定する瞠の言葉に、渉もつられた様な照れ笑いを自然と浮かべる。
教師である渉は、勿論年齢だけなら瞠よりもずっとと大人であるはずなのに、ふとした時の表情が本当にあどけなかった。
渉の持ちえる無垢な雰囲気を、邪険に思う人間は少ないだろう。
瞠も彼のそんな所に惹かれ、憧れていた。

「君は、もうすぐ卒業する。それが寂しくないって言ったら、嘘になるけど。それでも、これからもずっと仲良くしていきたいな」
「マッキー……」
「まだ知り合って、一年とちょっとなんだよね。不思議だよ、もっと久保谷君とは長い間一緒にいる気がする」

そう言って嵌めていた手袋を外すと、渉は瞠の頭に手を伸ばす。
指先で触れる瞠の髪は冷え切っていて、手袋の中で保たれていた渉の熱をどんどん奪っていった。
そんなことを気にする素振りを一切見せず、渉はそのまま何度も何度も、短くなった瞠の髪を優しい手つきで梳いていく。
崩れない笑顔に詰まった渉からの慈愛に、ぽかんとなっていた瞠の頬に、再び熱が集まっていった。

「君の成長を、凄く楽しみにしているんだ」
「……マッキー、それだと俺の保護者みたいなんスけど」
「いいじゃない。だって久保谷君は、僕の大事な生徒だもん」

絡めていた瞠の短い襟足から指を離し、渉は改めて彼の顔を覗きこむ。

「御影君や他のみんなが君を愛しているように、僕もこの関係を大事にしていきたいな」
「お、俺も……その、あの……」
「君のことが大好きだよ、久保谷君」

言葉と言う形で具現化された渉からの愛念に、瞠の鼓動が一気に速まる。
見開く瞠の大きくなった瞳の中で、渉はにこにこと朗らかに笑い続けていた。

「一年だけじゃ、物足りないよね。来年も再来年も、これからも。僕、ここで久保谷君が帰って来てくれるの待ってるから」
「あの、えっと……マッキー……?」
「久保谷君は、先生になるんでしょう? 先生になる君を、僕はここで迎えたいな」

そう言って瞠から離れると、いつの間にか目と鼻の先になっていた幽霊棟に向かって、渉が駆け出す。
入り口の手前でくるりと振り返り、渉は瞠に向かって大きく腕を広げた。

「受験、頑張ってね! 僕も君が帰ってくるまで、クビにならないよう頑張るから!」

眩しいくらいに真っ直ぐな渉からの激励に、思わず瞠の涙腺が緩む。
愛情に飢えた瞠の奥底にある幼い気質は、そうして前面に押し出された。
求めた愛しさを余すことなく手中に収めようとするかのように、瞠は渉の腕の中へと真っ直ぐに飛びこんでいく。
強く強く抱きつく瞠を、渉も優しく受け入れた。

「んもーっ、マッキーの節操無しっ!」
「あはは、ひどい言われ様」
「だって、だってよぉ……っ」
「僕、ちゃんと久保谷君を見てるんだからね」

抱きついてきた瞠の髪に、渉は再び指を差し込んだ。
撫でる頭はひくひくと、小さな痙攣を繰り返している。
一緒になって揺れる、鮮やかなオレンジのマフラー。
瞠の首から外れかけたそれを元に戻しながら、渉は小さく呟いた。

「……僕も、変わることができたかな」

渉の独り言に、瞠は涙ぐみながらもしっかりと縦に頷く。
築かれた一年で育まれた恵みは、そうして二人の絆を確かなものへ昇華させていった。
世界は、温もりに溢れている。


一周年おめでとうございます、
これからもめいいっぱい楽しませて貰います!
大好きです!


◆ ミロ
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