「瞠、なんか思い残したこととかない?高校生活でさー」
「別にねぇよー?」
「瞠はあるでしょ」

いつだったか、清史郎が学校ででぽつりと聞いてきたことがあった。
賢太郎の監禁事件から一年近く、俺たちは受験生で、毎日が恐ろしいスピードですぎていく。
それでも創立祭は一緒に騒いだし、毎日幽霊棟で共同生活をおくるだけで十分すぎるくらい幸せだと思っていた。だからないと答えたのに、横からさっちゃんにコメントを挟まれてややこしくなった。

「なんだよ、咲」
「誠二と上手くいってない」
「え?まだやってたのこいつら」
「別に喧嘩してるわけじゃねえって!」

携帯をいじりながら真顔で答えるさっちゃんと、呆れ顔の清ちゃんが話し始めてあわてて遮った。
誠二のことを考えると、心の中がもやもやしてきて首をふる。喧嘩をしていないのは真実だ。むしろ喧嘩どころか、夏休みが終わってからほとんどまともに話せていない。さっちゃんの大きな瞳が自分に向けられる。さっちゃんのアイコンタクトを見破るのは他のどんなしぐさを読むより難しくて、どぎまぎしてしまった。

「最近牧師舎に行かないよね」
「…忙しんだよ」
「なるほど」

ちっとも納得していないかおのさっちゃんと、何かを考えるような清史郎。そんな二人に捕まった時点で何かが起こるのは目に見えていたのに、その場で流してしまったことを悔やむのは年が明けてからだった。


『受験票は預かった。返して欲しくば本日夕飯時に牧師舎へ。喋ったら破ってやる』
自室の机に置手紙を発見したのは学校が終わってすぐ。シャレにならない脅迫文に青くなって、それから本気の怒りがわいてきてすぐにリビングへ走った。

「清史郎しらない?!」
「何かあったの」
「清史郎に受験票とられた…!」

ソファからハルたんが顔をだす。昔は単に昼寝のためにソファにいたハルたんは、単語帳を持ちながらまどろむようになっていた。ぱたんと本を閉じて、彼は立ちあがった。
――きっとハルたんなら一緒に清史郎を探してくれて、叱ってくれる。
しかし、そんな期待はあっさりと裏切られることになった。

「はい、これ」

冷蔵庫に向かったハルたんがとってきたのは『パイ投げ用』とでかいシールが貼られた生クリームだけのパイだった。そっと紙袋にいれて渡される。

「なに、これ…」
「久しぶりに神波さんと話すんでしょう?苛められたらこれで反撃して、写メ送ってって和泉からの伝言。ゆっくり話してきなよ」

結論から言おう、どこか嬉しそうに送りだしてくれるハルたんの笑顔には勝てなかった。


牧師舎には明かりがついていた。恐る恐る扉を開ける――前に内側から開いた。

「瞠くん?」

驚いた顔の誠二がそこにいた。本当に久しぶりすぎて一瞬言葉がでなかった。

「清史郎こなかった? 」
「こないよ、今研修から帰ったばかりだ」
「そっかぁ…」

まだ牧師用のマントを身に付けたままの誠二は、何かに気付いたような顔で瞠に近づいた。

「でもそれで犯人が分かった。…瞠くん」
「なに」
「ご飯食べて行きなさい」
「いいよ、帰って清史郎探す」
「コンロにハヤシライスたっぷりの鍋と、冷蔵庫にショートケーキが入ってる」
「は」
「あと君の受験票も机にあった。返してほしかったら食べるの手伝ってよ」

どうやら逃げられないようにセッティングされていたようだ。
瞠の好物を出してくるあたりレンレンが一枚かんでるんじゃないだろうか、と幽霊棟の調理担当を疑う。ハルたんといいさっちゃんといい、これで茅サンまで噛んでたら相当だと思った。そんなに気遣われるほど、自分は誠二を避けていただろうか?

久しぶりに入った誠二の部屋は、掃除したばかりのようにさっぱりしていた。
テーブルには二人分のハヤシライスとサラダが用意されて、美味しそうに湯気をたてている。部屋に漂う美味しそうな匂いにおなかがなった。

「とりあえず食べよう」
「いただきます」

ふたりきりの晩餐は静かに始まった。ほかほかと温かいハヤシライスはいつも幽霊棟で食べているものよりずっとおいしくて、思わずぱくついてしまった。
誠二もおいしいね、とだけコメントして黙々と食べていた。
何くれとなく話しをしようとして、なにを話せばいいか分からなくなってしまう。前までは何を話していたのか――幽霊棟の話や、学校の話だったと思うけど――結局デザートのケーキをとりだすまで、ふたりは無言で向かい合っていた。
イチゴのショートケーキ。スポンジと生クリームとイチゴだけのシンプルさが瞠は好きだった。つやつやと光る苺を見ていると幸せな気分になれる気がする。
フォークを手渡して、誠二が切り出した。

「で、これは何の企みかな」
「研修お疲れ様ってことじゃねえの」
「じゃあ瞠くん呼ぶ必要ないじゃない」
「…そうだけど」

言葉につまる。また沈黙が流れた。
幽霊島以降、受験勉強に忙しくてあまり牧師舎に行くことはなくなったし、誠二の方も前ほど話しかけてこなくなった。事実夕食のあいだも驚くほど無口で、共犯者だと詰りながらも離れなかった過去が急速に遠ざかっていくようだった。
まるで―――
まるで見えない線がどこか大事な部分に引かれたようだ。
そうとしか思えないのが苦しくて、どこで間違ったのかを考える。悩んでいる間に、もう一度誠二が口をひらいた。

「案外君への仕返しだったりして」
「今ごろさ、他のみんなで水いらずでパーティーしてたらどうする?」
「かわいそうな瞠くん」

にやり、と意地悪な顔で笑う誠二はそこだけ昔と変わっていないように見えて、妙に力がぬけた。呆れ声で反論してやる。

「あんたまだそんなこというのかよ」
「怒った?」
「怒るよ」

誠二のにやにや顔はそのままだった。そのままだったくせに――そこから急に神妙なかおになって瞠は行き場を失ったような気分になった。
誠二はそんな瞠の変化には気づかないのか、椅子に座りなおしケーキを食べ始める。

「お別れが近いからって感傷的になるつもりはないよ」
「なんだよ、それ」
「湿っぽいのは嫌でしょう」
「そっちじゃねえよ。なんだよ、お別れって」
「受験票を見たら分かるよ。東京に出てひとり暮らしするんでしょう」

どこへなりと行って幸せになるといいよ、何も不安なことはないだろう?そう言った誠二はこれまでにないほど優しい顔をしていた。そこに意地悪のような悪意はなく、却って瞠のこころを揺らした。

――勝手に幸せになれ、だって?

誠二が食器をもって立ち上がる。夕食はこれでおひらき、そういいたげなそぶりだ。キッチンへ歩き出す誠二の後ろ姿を見ているとどんどん苛立ちと動揺が膨れ上がって――そこで白峰春人に渡された紙袋の中身を思い出した。

「ふざけんなこの副牧師!」

パイはべしゃ、と間抜けな音をたてて誠二の後頭部ではじけた。
誠二が衝撃に躓いて、豆鉄砲を食らった顔でこちらを見た。頭が真っ白に塗れておかしなカツラでもかぶったみたいだ。笑いとばしたいきもちと怒りと悲しみがごっちゃになって自分がどんな表情をしているのか瞠には分からなかった。

「あんただよ」
「あんたがそんなままじゃ、安心して出ていけないよ…」
急に涙があふれて頭を振る。すぐに泣くのはずるい、瞠くんはずるい子だ、そう言われるのは見えていたけれど、だからといってすぐに止まるわけもなくて絞り出すような声がでた。

「どうしたらせいちゃんは幸せになれるの…」

沈黙がおちる。目から溢れた涙が頬をつたってお気に入りのパーカーを湿らせていった。
回りくどいやり方なんて一切ない、まるでマッキーのようにストレートな感情を爆発させて瞠は息を吸い込む。思い残すことはない、清史郎にはそう言ったし、自分もそのつもりだった。だけど話して分かった。誠二は、瞠が出て行くことでそれまでの関係がすべて終わりになるように考えている。事実そうなりかけていた。唯一の家族のような関係が、緩やかに死んでいくところだった。
こんなんじゃ、いなされて終わりかもしれない。でもどうしていいのかわからない。瞠がどうしようもなさに埋め尽くされそうになったころ、部屋に小さな声が響いた。

「なら…」
「…ときどき連絡してよ。元気だとか、どんな友達ができたとか、メールでもはがきでもいいから」

瞠は目を見開いて誠二を見つめた。ささやくような声。神様に祈るよりもか細く弱々しかったその声は、本当に神波誠二が出したのだろうか。ようやく聞き出せたささやかな願いをのみこんで、瞠はありったけの力で誠二の手を握った。

「書くから。書くから、絶対せいちゃんも返事だしてよ……」

しゃくりあげながらそういうのが精いっぱいで言葉が継げない。誠二の表情は目の前の涙で見えなかった。それでも小さく頷いたのは分かって、当分涙は止まりそうになかった。


――そうしてその夜、ちっぽけな約束が交わされた。


数分後、誠二はシャワーへ向かい、瞠は甘い匂いの残る部屋でケーキの残りを食べていた。
清史郎を思う。帰ったらとりあえず殴って、それから一緒に買い物に行きたい。手紙を送ることにかけて、清史郎は誰よりプロだ。誠二だけじゃなくて、たまにはマッキーや幽霊棟の友人たちに向けて送っても楽しいかもしれない。なんかくすぐったい気分だなぁ、と瞠は小さく笑って窓の外をみた。
そこにはいつか流星群を見に行った日のような星空がきらめいていた。
誰が祈らずとも、幸福な朝を約束するように。


ネヴァジスタ一周年おめでとうございます!
夏に瞠くんの可愛さに惹きこまれてからずっと物語が頭から離れなくて、泣いたり笑ったりを繰り返しております。
どのキャラクターも好きで幸せになってほしくてごろごろしてます。
ずっと好きです。こんな素敵な作品を作ってくださったTARHS様に感謝とお祝いを言わせてください。
これからもこの物語が広がり続けますように!


◆ きゅっきゅ
◆ @sheepywww


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